天地の理法

 開祖植芝盛平翁は「合気とは愛なり、天地の心をもって我が心とし万有愛護の大精神をもって自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ・・・・」と説いておられる。

 開祖のとくこの天地の心とはなんであろうか。私たちの住む地球は太陽の周りを1年365日かけて廻っている。そして太陽系自体も銀河系の中で廻り、その銀河系自体も気の遠くなるよう時間をかけて大宇宙の中心を回転していると聞く。私たちの住む地球、その身近な自然に目を向けてみると、自然もまた宇宙の輪廻の法則のように廻りきたっているように思える。沈丁花の花が甘く香りだし、鳥のさえずりがにぎやかさを競いだし、小枝に花がほころぶ春が来る。田に水がはりだしカエルの声が聞こえたかと思うと、空には暑い太陽が照りつけ汗まみれの暑い夏が来る。やがて川の土手に燃えるように咲く彼岸花を見つけ、ほおをなでる爽やかな風が秋の到来を告げる。そして真っ赤に山々が燃え木の葉が落ちて雪の便り聞く冬の訪れとなる。そしてまた梅の花のほころぶ便りを聞き、椿の花が、桜前線が北上して宴を催す春が廻ってくる。このように私たちの住む地球の自然が輪廻の法則、円運動の中で廻り、私たちの人生そのものが輪廻(円)の法則の中で生き生かされている。

 あれは確かNHKE大河ドラマ「宮本武蔵」の中だった。もう忘れかけた私の記憶の中で若き修行時代の武蔵が、奈良の柳生の里に柳生石舟斎を訪ね戦いを挑み、みごと石舟斎の無刀取に敗れた時のことだった。「武蔵・・・お前は鳥の声を聞いていたか、風の音が聞こえたか、川のせせらぎの音が聞こえたか・・・・云々」と石舟斎は諭した。とかく自然の中で生き生かされている我々が、自然とは隔離し無縁の中で生きてしまっている。

 自然を大切にし輪廻の法則の中に生きることこそ、開祖のとく天地のこころではないか。合気道はこの自然の理法を体に宿すための修行法で別に相手と争い強くなるための修行法ではないと思われる。常に自然体の中で相手と一体となることを心がけ、右に左に陰に陽に変化し、円くさばいて相手を痛めつけることなく投げあるいは抑えていく。そして長い稽古の時をかけて技も心の世界に向かい、人と争うのではなくいかに自分を抑え調和するかが中心となり、技も心も円くなっていく。願わくば物事にとらわれることなく「水のごとく、雲のごとく」そして気の流れるような技、「気のみ技」が発揮されれば、いつしかお互いに生かし生かされる「和合」の精神と「万有愛護」の精神、そして開祖のとく天地の心=天地の理法が身について来ると思われる今日この頃です。  

                                大鐘 拝

 

 ~きのみわざ たまの志づめやみそぎ技

                  導きたまえ天地(あめつち)の神~

                          開祖道歌