奥の細道

支部長大鐘のコラムです。

 


藤田師範の言葉 奥の細道 会員コラム


合気八策

合 気 八 策 

 

 

島田・藤枝・焼津合気会の館名も合気道「鐘風館」と決ま

り、昨日、夜遅く帰宅する車の中で色々と鐘風館の信条について考えました。これを「車中八策」あるいは「合気八策」というが、以下に思いついたままを掲載することとし、他に何か良い意見、訂正、添削箇所等があればご指摘ください。

 

   合気道「鐘風館」合気八策(車中八策)

1.  合気とは、結びであり、和合である。争いという対立の中では新しい物は生まれず、調和の中にこそ新たのものが生れ出る。

2.  礼儀・礼節は相手を敬い尊重する中から生まれ出たものであり、宇宙の営み・自然の営みが形となったものである。

3.  「和」の心とは「宇宙」の心であり、「自然」の心である。角のあるとがった心では自然の心を技に現わすことは出来ない。素直な空の心で歩みたい。

4.  姿勢を正すとは、心を正すことである。心が歪むと姿勢も歪む、逆に姿勢を正すと心も真直ぐとなり伸び伸びと技も美しくなる。

5.  宇宙の理法・自然の理法(タルマ)とは輪廻であり、循環であり、円であり、常に繰り返している潮の満ち引きのようなものである。この永遠なる動きを学び、技にしたのが合気道である。

6.  常に気持ち・重心を臍下丹田におき、中心軸(姿勢)を正し、気持ちを四方八方隅々まで発気することによって美しい「武の舞」「気の舞」「神楽舞」となる。

7.  日本人としての精神・伝統を今一度呼び覚まし、地域にそして次代を背負う子供たちに日本の新しい武士道「合気道」を引き継ぎ広めていくことこそ合気求道者の役割である。

8.  最後に木喰上人の歌を 「まるまると まるめ まるめよ 我が心 まん丸 まるく まるく まん丸」

 

                                            

                         大 鐘 拝

 

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生きる

      名画劇場 「生きる」続編

 

 

 そしてこの日がこの男にとって本当の誕生日となった。こ

 

の市民課長、ついに住民の為に命を賭けて子供の遊び場の公

 

園を造ることを決意したのであった。命を賭けて公園づくり

 

のために奔走し、そしてそれから5ヶ月後、この男は死んで

 

行った・・・

  

雪の降る寒い朝、出来たばかりの公園のブランコの上でこの

 

男はしみわたる声で、しみじみとゴンドラの歌を口ずさみな

 

がらこと切れていた・・・

 

 ♪命みじかし~恋せよ おとめ 赤い唇 あせぬまに~ 

 

熱き血潮の きえぬまに~ 明日という日の ないものを~

 

 

 そして数日後、市民課長の葬式の日、部下達が課長につづ

 

葬式に詰めかけた住民の前で明日から陳情はたらい回し

 

せず皆様のために頑張りますと固く誓いあった。

 

 

ところがこの映画これで御仕舞かと思ったが、つづきがあ

 

った。葬式も済んだ数ヵ月後、役所の助役はあの公園は私

 

が尽力をつくして完成させたと手柄を横取りし、葬式の日

 

誓い合った部下達は相変わらづの元のままに、たらい回

 

遅れず、休まず、働かずの仕事がつづいていた。

 

                                       

 

                     終わり

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生きる

 

名画劇場「生きる」

 

                         昭和27年度

               東宝創立20周年記念作品

     監督  黒沢  明

     主演  志村  喬

       

 

 

 あれからもう三十年も過ぎ去ってしまったのだろうか…黒髪もふさふさとして二枚目の好青年だった私(愛気チャン)は、枯葉舞う冬の木枯らしの中で、コートの襟を立てながらふと銀座のとある映画館の前で立ち止まった。

「♪~命 みじか~し 恋せよ 乙女~赤い 唇び~る あ~せぬままに~♪」 

スピーカーから流れるこの哀愁ある歌に引き込まれるように私はいつしか映画館の椅子に腰を沈めていた。モノクロのスクリーンいっぱいに志村喬(今は亡き)ふんする市民課長がブランコの上でこの歌を口ずさみながら死んでいく・・・実はこの課長、ニックネームが「ミイラ」。この課長には生きた時間が無かった。三十年間無遅刻・無欠席で一度も休暇をとることも無かった。ただ忙しいだけで意欲や情熱は何も無かった。住民の要望は各課にたらい回し、結局は自分の椅子を守るだけで何もしなかった。つまりこの課長、時間を潰しているだけで生きているとはいえなかった。つまり生きた屍だったのである。

 ある日この課長、胃の不快感を覚え病院に行く。重いように胃が痛み、げっぷが出、水やお茶ばかり飲みたがる。診断の結果、胃潰瘍と医者に告げられたが実は胃がん。長くて一年の命・・・・医者のただならぬ気遣いに胃がんと悟り、病院から帰る道すがら重く痛む胃を押さえながら酒場で酒をあおっていく。

 「ああ~私は今まで何の為に生きてきたのだろうか…」と自問自答する。だんだんと自分に腹が立ってきた。

この男、たまたま酒場で知り合った小説家に自分はガンであると告白する。同情した小説家が「私はつまらない小説を書いているつまらない男ですが、不幸は人間に真理を与える。つまりあなたの胃がんはあなたに目を見開かせた。さあ~あなたの無駄に使った人生を取り戻しましょう…あなたは胃がんという十字架を背負ったキリストだ。胃がんと宣告されてからあなたは生き返ったのです。」

 そしてこの小説家、この市民課長を今まで味わった事の無い甘美な世界に連れ出す。パチンコ・バー・クラブ・そしてストリップにと快楽の世界に浸らせる。今までと違った人生を知った市民課長、「私は今まで三十年間、役所で何をしてきたのだろうか?妻に先立たれ息子を男手一つで育てるためだけにただ頑張ってきた。その息子にも邪魔者にされ退職金だけをあてにされるような始末。

 「そうだ、遅くはない。やる気になれば私にだって何か出来る。」

そして夕空を見上げ「ああ…美しい。実に美しい。この夕焼けがこんなに美しいなんて三十年間気がつかなかった。しかし私には時間が無い・・・・」

 

(続く)  

   

  次回は石原師範の講習会が終わったら送信します。         

                      お楽しみに

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沢庵漬と三代将軍家光

   空腹なら何でも美味しい (鎌田茂雄著:沢庵珍話集より)

 

 ある時のこと、家光は沢庵和尚を相手に四方山の話をしていたが、

 「和尚、余は何物を食しても味がなくて困るが、何か口に合うような美味ものでもあっ   たら、余に馳走をしてくれぬか」とおおせられた。和尚はこれを聞いて、

 「それはいと易きこと、明日、巳の刻、愚僧の休息所へおいでをねがいまする。」と申し上げると、家光大喜びで「イヤイヤそれは一段の馳走である、しからば明日巳の刻の時までに、和尚の許へ参るであろう」と御殿に戻りました。

 翌日になると家光は小姓を二、三名つれて、庭づたいに和尚の許へやってきました。時は十二月の下旬、朝より雪がチラチラと降り出し、もう一面の銀世界、将軍はこの雪をおしてご馳走を食べたい一心でやって来ました。

 「おお和尚か、降り積もる雪はまた一段の眺めじゃの・・・・」

 「上様には豊太閤の徳あり、昨日御約束つかまつりましたるとおり、天下無双の美味をさしあげまするでございましょう」と、茶室へと案内してしばらくお待ちと、和尚はそのまま自分の居間へ引き下がってしまいました。家光はこの景色を眺めつつも、和尚は今日何を馳走してくれるかと、しきりに待ち焦がれている、ところが待てどくらせどもいっこうに和尚は見えない。巳の上刻というのですから、今でいえば朝の十時。その時分から待たしておいて昼になっても和尚は出てこない、三時頃になってもまだ見えない。さすがの家光、少し癪にさわってきました。

 「和尚はどうしたか」       「ハッ」

 「かくも手間取るとなるところを見ると、調理がよほどむずかしいものと見えるな、いつもなれば余は中座を致すのじゃが、今日は和尚との約束がある、されば中座はできぬ、早く持参をすればよいが」と、なき面をしています。腹をすかしてもう目が回りそうにもなってきました。小姓の一同も生唾をのみこんで、のどをグイグイいわせています。

 ところへ八つ半頃、今日でいうなれば三時にもなろうという頃、やっとのことで和尚がそれへとでてきました。

 「はなはだ遅刻つかまつりまして恐れいりまする、沢庵手製の料理、何卒御賞美下されまするよう」とそれえと差し出しました。膳には黄色で四角な一寸四方ばかりに切ったのが二つ小皿にのって、それに椀が添えてあるばかりで他には何もありません。小姓の方もやはり同じで小姓どもは顔を見合わせて、「何だこの四角で黄色いものは」といぶかってぶつぶつ・・・・・

      このつづきは正月明けの腹の減った頃に    お楽しみに・・・・

 

 

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武士道サムライ精神の言葉

  「兵法は人を斬るとばかり思うはひがこと也。人を斬るにはあらず悪を殺す也。一人の      悪を殺して万人をいかす謀りごと也。」  柳生宗矩

 

 柳生家は徳川幕府の兵法指南役を務める家系であり、一万石以上の大名家でもあった。宗矩は、単なる強さを誇るだけの兵法ではなく、その奥にある禅の思想にもつながる内面性、精神性を重視したといわれている。

 柳生新陰流兵法は、人を殺す兵法ではなく、人を生かす「活人の剣」の精神にあるという。「兵法は人を殺すのではなく、一つの悪を殺し、万人を生かすための手段なのだ」

  

 どんなに修行に励み武術を身に付けても、人間としての真理、正しい行いとはなにかを知らなければ、そこから武道・武士道という「道」を極めることはできない。

 

  合気道も「活人の武道」である。人と争うのではなく、相手と一体となって相手を  導き生かす武道。日常・生活の中に「結び」の精神をいかに生かすかが眼目となる。

 

                                 柳生宗矩

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天地の理法

 開祖植芝盛平翁は「合気とは愛なり、天地の心をもって我が心とし万有愛護の大精神をもって自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ・・・・」と説いておられる。

 開祖のとくこの天地の心とはなんであろうか。私たちの住む地球は太陽の周りを1年365日かけて廻っている。そして太陽系自体も銀河系の中で廻り、その銀河系自体も気の遠くなるよう時間をかけて大宇宙の中心を回転していると聞く。私たちの住む地球、その身近な自然に目を向けてみると、自然もまた宇宙の輪廻の法則のように廻りきたっているように思える。沈丁花の花が甘く香りだし、鳥のさえずりがにぎやかさを競いだし、小枝に花がほころぶ春が来る。田に水がはりだしカエルの声が聞こえたかと思うと、空には暑い太陽が照りつけ汗まみれの暑い夏が来る。やがて川の土手に燃えるように咲く彼岸花を見つけ、ほおをなでる爽やかな風が秋の到来を告げる。そして真っ赤に山々が燃え木の葉が落ちて雪の便り聞く冬の訪れとなる。そしてまた梅の花のほころぶ便りを聞き、椿の花が、桜前線が北上して宴を催す春が廻ってくる。このように私たちの住む地球の自然が輪廻の法則、円運動の中で廻り、私たちの人生そのものが輪廻(円)の法則の中で生き生かされている。

 あれは確かNHKE大河ドラマ「宮本武蔵」の中だった。もう忘れかけた私の記憶の中で若き修行時代の武蔵が、奈良の柳生の里に柳生石舟斎を訪ね戦いを挑み、みごと石舟斎の無刀取に敗れた時のことだった。「武蔵・・・お前は鳥の声を聞いていたか、風の音が聞こえたか、川のせせらぎの音が聞こえたか・・・・云々」と石舟斎は諭した。とかく自然の中で生き生かされている我々が、自然とは隔離し無縁の中で生きてしまっている。

 自然を大切にし輪廻の法則の中に生きることこそ、開祖のとく天地のこころではないか。合気道はこの自然の理法を体に宿すための修行法で別に相手と争い強くなるための修行法ではないと思われる。常に自然体の中で相手と一体となることを心がけ、右に左に陰に陽に変化し、円くさばいて相手を痛めつけることなく投げあるいは抑えていく。そして長い稽古の時をかけて技も心の世界に向かい、人と争うのではなくいかに自分を抑え調和するかが中心となり、技も心も円くなっていく。願わくば物事にとらわれることなく「水のごとく、雲のごとく」そして気の流れるような技、「気のみ技」が発揮されれば、いつしかお互いに生かし生かされる「和合」の精神と「万有愛護」の精神、そして開祖のとく天地の心=天地の理法が身について来ると思われる今日この頃です。  

                                大鐘 拝

 

 ~きのみわざ たまの志づめやみそぎ技

                  導きたまえ天地(あめつち)の神~

                          開祖道歌

 

                                     

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